子どもの頃、家で私の食事が用意されることはほとんどありませんでした。
それでも学校へ行けば、給食がありました。
私は給食で育ったと言ってもいいと思います。
でも、学校には夏休みがあります。
学校が休みになる。
給食もなくなる。
家にいても、ご飯は出ない。
夏休みになると、私は食べるものを失いました。
※この記事には、子ども時代の食事を与えられなかった経験や、空腹から食べ物ではないものを口にした体験についての記述があります。読むのがつらいと感じる方は、無理をせず閉じてください。
給食のない長期休暇
最初の1日、2日は、お腹がすいていました。
でも、それが続いていくと、だんだんお腹がすいているのかどうかもわからなくなってきました。
思考も、あまり回らなかったと思います。
立っていることも難しくなります。
でも、音を立てることもできません。
ちょっとしたことがきっかけで、あの人のスイッチが入ってしまえば、どうにもならないからです。
ご飯は出ない。
給食もない。
どうやって過ごしたらいいんだろう。
そんなとき、外へ出る機会がありました。
何も考えず、私はコンビニに入りました。
コンビニには、たくさんの食べ物が並んでいます。
私はそこで、食べ物を万引きしました。
してはいけないことです。
それは今ならわかります。
でも、そのときの私には、そんなことを考える余裕はありませんでした。
味も何も関係ありません。
ただただ、お腹がすいていました。
もう我慢できませんでした。
それからも、外へ出る機会があると同じことをしました。
偶然にも、それで捕まることはありませんでした。
食べられるものなら、何でもよかった
でも、いつでも外へ出られるわけではありません。
外へ出る機会がないまま、何も食べられない日が続くこともありました。
夏です。
今ほどではないにしても、暑い。
最初は食べ物のことばかり考えていました。
でも、次第にぼーっとしてきます。
そして、そのうち、どうでもよくなってきます。
食べ物を想像してみる。
何かを食べているところを妄想してみる。
でも、どれだけ想像しても、お腹はいっぱいにはなりません。
私は、家の中にあるものを食べるようになりました。
紙。
絨毯。
ドッグフード。
それが食べ物なのかどうかは、もう関係ありませんでした。
口に入れられるものを探していました。
それでも足りなくなると、ゴミ箱の中を探しました。
家の中になければ、ゴミ捨て場のゴミを探したこともあります。
食べられそうなものがないか。
何か残っていないか。
もう、きれいか汚いかということも考えていなかったと思います。
ただ、お腹に入れられるものを探していました。
そして最後には、排泄物を口にしたこともあります。
ここまで書くことを、ずっと迷っていました。
今の私から見ても、普通のことではありません。
でも、そのときの私にとっては、
「これは食べ物なのか」
ではなく、
「何かお腹に入れられるものはないか」
それだけだったのだと思います。
何でもいいから、お腹に入れたかった。
それだけ、お腹がすいていました。
夏休みを乗り切れない
それでも、夏休みを乗り切るのは大変でした。
倒れたこともあります。
そのときは病院へ連れて行かれ、点滴か何かをしてもらった記憶があります。
最後にいつ食べたのか聞かれました。
でも、その頃の私には、もうわかりませんでした。
「好き嫌いばっかり言って食べないのは良くないよ」
看護師さんから、そんなことを言われました。
この人は何を言っているんだろう。
おぼろげですが、そう思ったことを覚えています。
私は好き嫌いをして、食べなかったわけではありません。
食べるものがなかったのです。
今になって考えると、親が「好き嫌いをして食べない」と説明していたのかもしれません。
本当のところは、わかりません。
食べ方が汚いと言われて
子どもの頃、私は食べられるものがあると、とにかく早く食べました。
ゆっくりしていると、食べ物を取られてしまうことがあったからです。
そんな食べ方を続けていたので、自分の食べ方がおかしいことにも気づいていませんでした。
そもそも、誰かと一緒に普通に食卓を囲む経験がほとんどありません。
給食も教室で食べた記憶がなく、人目につかないところで食べることが多かったです。
だから、自分の食べ方を誰かと比べる機会もありませんでした。
大人になり、一時期シェルターに入ったことがあります。
そこで食事をしていたときのことです。
私の前に座っていた、お母さんと思われる方が、自分の子どもに言いました。
「あんな汚い食べ方しちゃだめだよ」
私のことでした。
そのとき初めて、
あ、私の食べ方って汚いんだ。
と気づきました。
今は、昔ほどではないと思います。
それでも、ときどき食べ方を注意されることがあります。
食べ物があるうちに食べる。
取られる前に食べる。
そんな子どもの頃の食べ方が、今もどこかに残っているのだと思います。
大人になった今の「食」
今の私には、好き嫌いがあります。
「これは食べたくない」
「今日はこれが食べたい」
そんなことも思います。
でも、調子が悪くなると変わります。
食事を用意することそのものが面倒になる。
お腹がすいても、
「まぁ、いいか」
と思って、そのまま過ごしてしまう。
それが数日続くこともあります。
以前、カウンセラーさんから、
「食への興味や関心が薄いのではないか」
と言われたことがあります。
疲れてしまうと、食べることそのものが後回しになる。
お腹がすいても、面倒だから食べない。
それには、子どもの頃の経験も影響しているのではないかと言われました。
今も、調子が悪くなると食べなくなることがあります。
そんなときは、ヘルパーさんや訪看さんに食事の用意を手伝ってもらい、食べることもあります。
そうかと思えば、1日に5回も6回も食べることもあります。
極端です。
それでも、私はこうして生きています。
今でも、ときには誰かの支援がなければ難しいことがあります。
でも、子どもの頃とは違います。
今は食べるものがあります。
そして、自分だけでは難しいときに、手伝ってくれる人もいます。
それは、私にとってとても大きな違いです。
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さくらさん、おはようございます。
この間LIVEも拝見しました。
言葉にならなかったです。今回のお話も、思考が停止する中でも身体が生きよう!と極限の状態でも生命を維持しようと頑張ってくれてたんだなぁと嬉しくなりました。さくらさんが生きていてくれてよかった!Substackがあってよかった!と思いました。これからもよろしくお願いします😌